デンドロビウム 〜華やかな魅力〜

Twitterで収まらないことをつらつらと

嵐一筋だった私が美 少年に落ちた理由

タイトルからお分かりの通り私は生粋の嵐担だ。

小学生の時から嵐担だった。胎教はA・RA・SHIだったらしい(どんな親?)

 

掛け持ちは嫌いだ。いや、嫌いだった。だって嵐ととあるJrを掛け持ちしてたのにJrを褒める(?)ために嵐を貶す友達がいたから。掛け持ちってこうなるの?ってビックリした。そんな訳で(どんな?)掛け持ちが嫌いだった。まあそんなことはどうでもいい。そんな私が美と嵐の掛け持ちになった過程を綴っていきたいと思いま〜す!

 

やっと本題に入ります‼️

 

まず私が少年を認知したのは2017年10月号のMYOJOだった。これまた嵐が表紙だから買ったのだ。

待って?これにデタカ付いてたの初知りなんだけど???しかも嵐の裏にHi美で写ってるすご〜………(脱線しまくり)

 

お手持ちの方はP.20上段をご覧下さい。はい、いますね?いましたね?キスマイ、WEST、セクゾに混ざって!【那須雄登(東京B少年)】強すぎ…

 

那須くんは一切学校名を出さずに“校内のイチョウ並木”という言葉だけで同じ学校ということを伝えます。そして“櫻井くんだってがんばってたんだ!”と自分を奮い立たせていた那須くんは完全こちらサイド(ご馳走様です)

 

ここで櫻井くんの好き好きポイントを挟むと、『なんとかなる』とか甘い言葉ではなく、『両立できないだったら、どっちかをやめるしかない。』と厳しめのアドバイスを送るところ。そして『俺は、そうやってきたからね。』の締めの一言。なんて恐ろしい男なの…大好き……

 

これきっかけで私は櫻井くんと同時に那須雄登くんを認知しました‼️(おめでとう❕)

 

認知したまでは良かったが調べるということはなかった(はず)。マジな運動部に所属していて嵐のLIVEですら行ける状況ではなかったし、ただでさえ時間が無いのに自担を増やすとか無理、嵐だけを見て生きていきたいと常々思っていたから。

あと何より掛け持ちするってことは私で言うと嵐への愛が減ってしまうんじゃないかという思いもあった。同時に大勢を愛せない不器用な女なんだよ私は…。と思っていた

 

 

to be continued...

(ただ疲れただけですごめんなさい)

(下書きしてゆっくり綴っていきます)

 

ここまでお付き合いいただきありがとうございます‼️またお会いしましょう‼️

(急なんだよな)